・・・ 全てはここから始まった ・・・
1977年、めぐみさんが13歳の時、中学校からの帰宅途中に北朝鮮により拉致された。
2001年、北朝鮮問題がなかなかマスコミに取り上げられない厳しい社会状況のなか、事件の風化を恐れた横田夫妻は最後の望みをかけて須藤にプロファイル画の制作を依頼した。
公安当局は須藤に対し北の案件に関わることは危険であると警告したが、「自分の娘だったらこのままでいいのか」という信念のもと制作を開始した。
横田夫妻の切実な願いは、これにより1社でも多くの報道陣に取り上げられ解決への糸口を見い出すことだった。
果たして、社会が見向きもしなかった25年の空白を埋めることはできるのか・・・?
2001年8月20日、横田夫妻の希望通り、北朝鮮に拉致されて以来初めて公開される35〜40歳のめぐみさんのプロファイル画が完成し、その期待通りにテレビ、新聞各社がこぞって集まった。
NHKは中継車を、テレビは同行取材、新聞、雑誌等でも大々的に報道され、水面下でさえ動かなかった拉致問題に対し、国家と国民の世論が大きく動かされた。
この瞬間に大きなタブーの壁を打ち破ったのである。
そして翌年、歴史的な小泉総理大臣の初めての北朝鮮訪問が実現し、一部の拉致被害者が帰国を果たした。
「横田めぐみさんのプロファイル画」 制作 須藤 眞啓
立派に成長しためぐみさんのプロファイル画を胸に抱く横田夫妻と須藤。
「まるで娘が帰ってきたみたいだ。こんな笑顔でいてくれたらどんなにいいだろう」と喜んだ。
この後3人は、歴史的に世の中を動かす発端となる記者会見に臨む。
2001年8月20日、この記者会見は日本において北朝鮮問題がタブーでなくなった瞬間だった。
国民の心は拉致被害者に寄せられ議員はブルーのリボンを胸に付けるようになった。
その後、二十歳の頃のめぐみさんと言われる写真が北朝鮮によって公開された。
早紀江さんは、私は母親としてこの女性を産んだ気がしない、と須藤に語った。
須藤としても、めぐみさん死亡説をこのまま肯定するわけにはいかなかった。
そこで、須藤独自に検証したところ、驚くべき結果が判明した。
ご覧のように、失踪時のめぐみさんの顔(左)と成人した顔(右)をスーパーインポーズすると
目鼻口骨格、ほとんどのポイントが合致する。
だから、これはめぐみさん本人だということではない。
よく似た女性に、めぐみさんの最も知られた顔写真と全く同じ角度でポーズをとらせ、
同じ高さ、角度から撮影した。
北朝鮮的単純明快な、作られた写真ということだ。
作為的でなければ、とても偶然できるようなものではない。
もし、失踪時に別の写真を出していたら、それと同じ状況で作ってきたであろうことが考えられる。
いつまでも北朝鮮に翻弄されているわけにはいかない。
拉致被害者全員の一刻も早い帰国を願う。